成功失敗より、頑張る頑張らないで評価されるプログラマ | それゆけ西表島

成功失敗より、頑張る頑張らないで評価されるプログラマ

PM見習いの読書日記 銀の弾丸より
--
自分が結局「やれないかどうかは、やってみないとわからないでしょ」的な意見に負ける人間なのでこう思いました。
--

根性論ここに極まれりのようにも見えるが、実はこの発言は「失敗してもいいからやってみろ」としか聞こえない。上司が責任を取ってくれるのだから、社内の開発チームはできるところまでやるという選択肢しかない。

そもそも、この場合、開発者側にコミットする余地がないのである。一歩間違うと無責任な現場だが、そこは日本人技術者の悲しい性で、主体的に責任を果たそうとしてデスマーチへの道を辿る。

この会話の前後の問答を想定すると、
開発者「このプロジェクトは納期までに絶対間に合いませんよ!」
上司「やる前から出来ないと言っていたら、出来るものも出来なくなるだろう!」
開発者「といっても、まだ仕様も決まってないのに、無茶ですよ!」
上司「出来ない言い訳なんて、いくらでも出てくるんだ。死ぬ気でやってから言え! 嫌ならお前が営業に行って来い!」
開発者「・・・。」
という感じだろうか。上司の最後の単語は開発者のモチベーションを極限まで低下させる。

IT業界の一部の組織の風潮として、「がんばる/がんばらない」と「成功/失敗」の2軸があった場合、(がんばる-成功)と(がんばる-失敗)の場合は社内も顧客も「よく頑張った!」となることが多い。(がんばる-失敗)は、とりあえず完成までどこからともなくお金が出続ける。

(がんばらない-成功)は、顧客にいい顔をされないことが多い。ぼったくり状態のように思われてしまう。それでなくても単価がよく見えないので、次の仕事は来ないか、来ても単価を下げられる可能性がある。なので、少なくともがんばる振りは大事だ。

(がんばらない-失敗)は大変である。いや、どうなるのかは怖くて試していない。たぶん、次の日からはIT業界にいられないかもしれない。少なくとも職場からはいなくならないと、目線が冷たそうなことだけはわかる。

と考えると、実は「成功/失敗」の軸は一部の組織から見るとどうでもよくて、いかに頑張ってやったかが評価されているということになる。

なぜなら一部の組織ではソフトウェア自身を評価できないので、どれくらいまじめに取り組んでいるかでしか評価できないからだ。顧客側はなおさら外側からしかわからないので、評価の基準はやはり頑張ったかどうかにならざるを得ないところが多いのではないか。

最初の引用に戻るが、「やったら出来るかもしれないんだからやれ」と言われたら、気合を入れてやってみるのも1つの手である。成功したら大成功で、失敗しても当たり前のプロジェクトというのは、別の視点から見ると挑戦のしがいがあるとも言える。

顧客に対しては失礼かもしれないが、この場合は顧客に対する責任は上司におしつけてしまってよいだろう。回りまわって会社に影響を与える可能性もあるが、会社を辞める気がないならそこまで気にしても仕方がない。